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    ウルトラファクトリー [2008]

    共に作る美術へ

    ヤノベケンジには幾つかの転換点がある。実機能を持つ機械彫刻で知られるヤノベの初期作品は、西洋的な彫刻の伝統とは異なる、日本のアニメ、漫画、特撮などのポップカルチャーを、現代美術の文脈に置き換えたものだ。それは、イギリスへの短期留学経験によって、西洋の重厚な美術史や美術教育との根本的な差異を感じたことが契機となった。当時、日本のポップカルチャーは世紀末を迎えたことで、終末論的世界に溢れており、その影響を受けたヤノベも世紀末社会での「サヴァイヴァル」をテーマとする。

    デビュー作である、生理的食塩水に満たされたタンクの中で瞑想体験ができる《タンキング・マシーン》(1990)以降、自らを包むタンク、シェルター、スーツ、車、列車など「身を守る」「変身する」「移動する」などの身体を拡張する機能が作品の重要な要素になる。

    1997 年のベルリン在住時代、『鉄腕アトム』のオマージュでもある自作の放射能防護服《アトムスーツ》で、事故後のチェルノブイリ原子力発電所から半径30km以内の居住禁止地域(ZONE)を探訪するプロジェクトを敢行した。それは1995 年、日本で阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件という終末論的世界が現実に起こったことを機に、自身が抱いていた妄想と現実を自らの身体と作品によって接合しようという試みでもあった。

    そこでヤノベは点在する高濃度放射能汚染地域(ホットスポット)や廃墟となった街だけではなく、住み慣れた町に戻って住んでいた老人たちや少年と出会うことになる。生々しい現実に直面したことで逆に妄想との乖離が起こり、ヤノベは自身の表現行為のために訪問したことを激しく悔いる。しかし、その現実が創作の源泉になる。ヤノベはその経験を基に核への警鐘を鳴らす作品群を制作することで自身の再生も図っていく。

    新世紀が幕を開け、また第一子が誕生したことで、制作テーマを「サヴァイヴァル」から「リヴァイヴァル」へと転換する。そして、ヤノベ自身が装着、操縦する装置から、《スタンダ》(2001)以降、モニュメンタルな彫刻の制作を開始する。また、チェルノブイリの廃墟となった保育園の壁面に描かれた太陽に強い啓示を受け、核に変わる「太陽」が大きなモチーフになっていく。

    ヤノベは、未来都市の祭典であった大阪万博会場の跡地近くで幼少期を過ごし、後に「未来の廃墟」と名付ける解体現場で擬似的タイムトラベルを体験する。「未来の廃墟」での妄想がヤノベの原体験である。2003年に万博跡地にあった国立国際美術館でそれまでの集大成である「メガロマニア(誇大妄想狂)」展の開催を機に《アトムスーツ・プロジェクト》(1997- 2003)を完結させた。

    代わりに幼児用の《ミニ・アトムスーツ》(2003)を着たチョビ髭、バーコード頭の腹話術人形のキャラクター《トらやん》(2004)が誕生し、《トらやん》を通して未来を子どもに託す作品群を制作していく。《森の映画館》(2004)は子どもためのシェルターでもある。

    2005 年、金沢21 世紀美術館での滞在型制作「子供都市計画」において全長7.2mの巨大彫刻《ジャイアント・トらやん》(2005)を制作。市民参加型のワークショップや工房制による巨大彫刻の制作を開始し、市民や都市へと作品やプロジェクトを開いていく。

    さらに、個人的な体験や空想を他者と共有できるように物語にし、巨大作品とミニチュア作品の両方を作って、インスタレーションなどにして見せることで、ヤノベの作品は人々に広く深く浸透していくようになる。そして2008 年、ウルトラファクトリーの開設により、ヤノベは作品制作プロセスを公開、共有する工房制を導入しウルトラプロジェクトを始動させる。