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    ウルトラプロジェクトからウルトラアートへ [2008]

    プロジェクトを超えるプロジェクト アートを超えるアート

    ウルトラプロジェクトとは、2008 年6月、京都造形芸術大学の全学生が利用できる立体造形技術支援工房として設立されたウルトラファクトリーにおいて、第一線のアーティストやクリエイターによって立ち上げられるプロジェクト型実践授業である。

    実践を最高の教育と位置付け、各アーティストやクリエイターが実社会で行うプロジェクトを推進・支援する体制を組むことで双方に相乗効果を与えている。学生は創造の現場に参加し実現する過程で、テクニックやノウハウを超えたエネルギーを吸収していく。ヤノベケンジは、ウルトラファクトリーの初代ディレクターに就任し、アートの枠組みを超え、社会に強烈なメッセージを放つ数々のウルトラプロジェクトを立ち上げてきた。

    20 世紀後半の芸術は「ファクトリー」と「プロジェクト」という二つの機能によって成り立ってきたと言える。「ファクトリー」とは、アンディ・ウォーホルの工房名であり、シルクスクリーン作品を分業体制によって大量に制作したことで知られている。「ファクトリー」は大量生産を前提とした20 世紀の工場の比喩でもある。

    一方、プロジェクトは、クリスト&ジャンヌ=クロードの《包まれたライヒスターク(旧ドイツ帝国議事会議事堂)》(1995)や、ジェームズ・タレルの《ローデン・クレーター》(1979–)に代表されるように、特にパブリック・アートやランド・アートの分野で、実現過程も作品の一環とする、大規模で長期的なアートの活動形態として注目されるようになる。ファクトリーやプロジェクトを超えることは、つまり、20 世紀後半に築かれたアートのスタイルを超えることに他ならない。ヤノベは、ファクトリーを超えるファクトリー、プロジェクトを超えるプロジェクト、アートを超えるアートをテーマに制作し続けている。

    その制作スタイルは初期のバウハウスがヨーロッパ中世の職人組合ギルドを手本としたように、アートと職人的技能を融合させた手作業による集団制作である。バウハウスでマイスター(親方)である教員がゲゼレ(職人)やレールリング(徒弟)である学生とアートやプロダクトを生産したように、ヤノベもウルトラファクトリーでアートを制作し世に送り出してきた。ヤノベはバウハウスのマイスターのようでもあり、鎌倉時代の仏師集団、慶派における運慶のようなプレイングマネージャーでもあると言える。そして、手作業の復権を唱える一方で、コンピューター、インターネット、デジタル映像のような新たな技術やメディア、素材を積極的に取り入れ、21 世紀的な表現形態に進化している。

    さらに、プロジェクトもテーマや作品が引き継がれながら進化していき、物語のように展開されていく類例のないものになっている。現実が物語に、物語が現実になるという虚実を往還しながら、今なお増殖し続けている。現実と物語の境界を軽々と越えていく。スケールは拡張されたり縮小されたり、縦横無尽に形態を変えていく。想像力がそうであるように、ヤノベとウルトラファクトリーの創造力もまた自由自在、千変万化であると言える。

    ヤノベは、東日本大震災という後世にまで語り継がれるであろう大災を越(超)えて、時代を敏感に先取り、さらに、時代を前に押し進めようとしてきた。ヤノベのアートプロジェクトが、「ウルトラ」と形容するに相応しいものであったことをこのドキュメントが力強く証明することになるだろう。