ウルトラ—黒い太陽 [2009]
「第四の物質」の彫刻
ヤノベケンジは2009 年、豊田市美術館での個展に向けて、ウルトラプロジェクトという名称に相応しい「かつてない超越的(ウルトラ) 彫刻」の制作を開始する。大阪万博会場跡地やチェルノブイリの廃墟での経験から独自の物語体系を生み出し、そこから彫刻作品を作り出していく近年のスタイルから純粋に美学的で今までにない彫刻を作ることを試みた。
それはヤノベの実質的なデビュー作である生理的食塩水を入れたタンクで瞑想体験ができる《タンキング・マシーン》のように先鋭的な科学者からインスピレーションを受けたイメージに近い。しかし、身体の拡張をテーマとしていた初期作品と関心は異なる。《タンキング・マシーン》が脳科学者であるジョン・C・リリーの考案したアイソレーション・タンクのオマージュであるとすれば、新たに作り出された作品は、ヤノベがかねてから影響を受けていたニコラ・テスラの考案したテスラコイルのオマージュである。
ニコラ・テスラはオーストリア(現クロアチア)出身の電気科学者、発明家であり、エジソンの下で働いた後、発送電システムを巡ってエジソンと大論争を起こした。直流電流を提唱したエジソンに対し、テスラは交流電流を提唱しナイアガラの滝の水力発電所コンペに勝利したことで、現在に繋がる発送電システムの基礎を作った。しかし、エジソンに比べて知名度が低く、奇怪な言動からマッド・サイエンティストのレッテルを貼られていた時代が長い。
テスラコイルは高周波・高電圧を発生させる共振変圧器である。元々は送電方法の一つとして発明されたが、送電装置としては無駄が多く実用化されることはなかった。しかし、そこから発生する強力な放電現象であるプラズマ(電離した気体)が描く幻想的な形象と色彩は、芸術家を含めたさまざまな人々を惹きつけることになった
ヤノベは、テスラコイル製作・研究の第一人者である薬師寺美津秀氏の助けを借りて、巨大テスラコイルを制作した。それはヤノベが今まで取り扱っていた固体・液体・気体を超えて、物質の第四の状態と言われるプラズマを素材にした「彫刻」を作る試みでもあった。プラズマは宇宙では太陽(恒星)、地球では雷、人工的なものではプラズマディスプレイや核融合に代表される。したがって、テスラコイルは、核爆弾や核融合などの人工的な太陽に繋がるものでもある。
ヤノベは、フラードームの一つにヒントを得た曲面状のコールテン鋼製のパネルを組み合わせた半球体のドームを作り、パネルの外側には放射状に伸びる無数の黒い角を取りつけた。内部にはテスラコイルが設置されており、その放電現象を見るには黒い角を外した穴から覗く仕掛けになっている。
《ウルトラ-黒い太陽》と名付けた作品の暗闇の穴から見える人工の稲妻と雷鳴は、見るものに根源的な畏敬と畏怖を与えることになった。「黒い太陽」とは、岡本太郎の《太陽の塔》(1970)の背面の謎めいた文様の名前でもある。ヤノベは、《ウルトラ-黒い太陽》によって、「人工の太陽」、「第四の物質」の持つ美しさと危うさという両面をシンボリックに表現することに成功したのだ。