ミュトス [2010]
予兆としての「 大洪水」
「ミュトス」展は、富山県入善町にある北陸電力の元水力発電所を改築した美術館、その名も発電所美術館において行われた。発電所=美術館はあばれ川と言われた黒部川の扇状地に立地しており通常の美術館のある場所ではない。発電所を美術館に改築する例は、テート・モダンが著名である。しかし、発電所美術館はテート・モダンのような幾つもの展示室が作られているわけではない。発電所の面影を残す巨大な空間が無骨な状態であるのみである。通常、美術館の展示空間は作品を成立させる助けになるが、ここでは強い空間に対峙することを迫られる。
ヤノベケンジは、元水力発電所という起源をふまえ、さらに空間を凌駕するために「ミュトス」というギリシア語で「神話・物語」を表すタイトルを冠し、4 章構成による壮大なスケールの展示と公開制作を行った。期間は2010年6月から9月にかけて4 期に渡り、序章、1 章「放電」、2 章「大洪水」、3 章「虹のふもとに」と約2 週間ずつ(3 章のみ約1カ月間)テーマと展示内容を変えて構成した。
序章は瓦礫と「未来の廃墟」の幻影で混沌と想像の世界を、1 章はテスラコイルの放電による稲妻と雷鳴で始まりと創造の世界を、2 章は巨大な水瓶からの放水・落水で「大洪水」による破壊の世界を、3 章では、「大洪水」に加えて、下向きの巨大ラッパ型オブジェに光を照射し、虹を出現させることで再生の世界を表現した。そこには黒部川の洪水、発電という歴史のほか、旧約聖書の創世記や大阪万博会場跡地やチェルノブイリの廃墟から始まるヤノベの個人史も読み取れる。それらが複雑に絡められ織り込まれている。
ヤノベは近年、自身が制作した作品を転用し、次の展覧会に展示したりインスタレーションにすることで連続性と差異性を表現することが一つの手法となっている。そこにダイナミックな新作を投入することで、ヤノベの創り出す作品世界に変奏を与えている。2、3 章で展示された1t の水瓶は「ミュトス」展に合わせてウルトラファクトリーで制作された。高さ9mの天井に吊るされた5tもの水を入れた水瓶がストッパーが外れた瞬間に回転し一気に放水・落水される仕組みになっている。
放水・落水による「大洪水」は2 階の瓦礫の上にある《人形 トらやん》に取り付けられたガイガー・カウンターの数値が放射線を感知し999からカウントダウンし0になった瞬間に訪れる。その瞬間ラッパの音が高らかに鳴らされる。それは新約聖書の『ヨハネの黙示録』の「最後の審判」の前に7 人の天使が鳴らす「アポカリプティック・サウンド=終末の音」を連想させる。ヤノベケンジ版の「最期の審判」であるとも言えよう。
そして、予測のつかない自然放射線のカウントによって訪れる「大洪水」は、自然のリズムを強烈に体感させるものであった。奇しくも展覧会自体が翌年の2011 年3月11日の地震と津波(大洪水)によって原子力発電所が破壊され人工の放射線が大量に漏れるという出来事を予兆することになった。
3 章では《人形 トらやん》が脱いだ放射能防護服が置かれ、瓦礫の上には百合型のランプを持った少女の人形《人形 チェルノブイリ》が立つ。光が照らされた巨大ラッパ型オブジェの内側には楕円の虹が浮かび上がり救済・再生を暗示させる。多くの「神話」は過去と未来、史実と虚構、複数の場所での出来事が混在しているが、「ミュトス」展はまさに「神話」と名付けるにふさわしい展覧会となった。