(1/2) サン・チャイルド [2011-2012]
子どもに託す「未来の希望」
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の地震動と津波は、福島第一原子力発電所事故を引き起こし、福島を中心とした広域が甚大な放射能汚染に見舞われた。前年の放射線と大洪水をモチーフにした「ミュトス」展は事後的に予知の意味合いを持つことになった。しかし、ヤノベケンジにとっては、原子力や核の危険性について作品を介して警鐘を鳴らし続けながらも、何ら効果を及ぼさなかったこと対して無力感を感じる決定的な出来事でもあった。
図らずも予知的な作品を作ったヤノベは3.11 以降、シニカルで批評的な表現から、前向きなメッセージを発する創作に転換することで、具体的に社会を好転させる必要性を感じ、「恥ずかしいほどポジティブ」な作品の構想を開始する。 3.11 後、間もなく京都造形芸術大学ウルトラファクトリーのブログに「立ち上がる人々」という声明を出し芸術の力の必要性を説いた。そして、その象徴的な行為として全長7.2mの《ジャイアント・トらやん》を大学構内に立ち上げた。
「立ち上がる人々」のイメージは、震災、原発事故からの復興の願いを込めた、立ち上がる子ども像《サン・チャイルド》に結実する。《サン・チャイルド》は子ども像だが全長6.2mと巨大である。放射能防護服を着ているが、ヘルメットは脱いで左手に抱えている。胸にガイガー・カウンターのデザインは付いているが、数値はゼロを表示している。顔は傷ついているが上を向いている。そこには受難と克服という二つの意味が読み取れる。そして放射能防護服の不要な世界を望む祈りとメッセージが込められている。右手に持つ「小さな太陽」が物言わぬ子ども像の「未来の希望」を象徴的に表している。現実的には放射能汚染は続いているが、除染され原子力が不要となった未来の世界を先取りした像なのだ。
また、ペストが流行した危機的な中世の後に訪れたルネッサンス期の代表的彫刻であり、巨人ゴリアテを投石によって倒す少年ダビデ(後の統一イスラエル国王)を模したミケランジェロの《ダビデ像》(1501–1504)のオマージュでもある。巨人を権力構造に、石を「小さな太陽」に置き換えている。
《サン・チャイルド》は、屋外展示を想定し、全長6.2mの躯体を自立させるために、発砲スチロールで型取り、FRP(繊維強化プラスチック)で作られた後に塗装された。金属加工で知られるヤノベにとって初めてのFRPと着色による作品となった。
《サン・チャイルド》は最初に万博記念公園で展示され、岡本太郎の《太陽の塔》からメッセージを受け継いでいることを示した。そして「小さな太陽」のデザインは岡本太郎の「太陽」をテーマにした作品群から取られている。それは「未来の廃墟」の原点である大阪万博会場跡地に「未来の希望」を立てる行為でもあった。
その後、岡本太郎記念館において展示され各地に巡回展示されることになる。さらに、「小さな太陽」のデザインの異なる2 体が追加され、1 体(No.3)は3.11の1 年後にヤノベの故郷であり、万博記念公園に近い南茨木駅前に恒久設置された。もう1 体(No.2)は大阪府咲洲庁舎、モスクワ近代美術館(ロシア)、ハイファ美術館(イスラエル)を巡回し、最初の1 体(No.1)は都立第五福竜丸展示館で展示された後、「福島現代美術ビエンナーレ2012」において福島空港に展示された。
《サン・チャイルド》は現在でも各地を巡回しており、プロジェクトは「未来の希望」が実現するまで継続される。