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    世界を変えるための巨大彫刻

    ヤノベケンジは近年、巨大彫刻を創る作家という印象があるだろう。しかし、現在の巨大彫刻に至るまで幾つかの変遷があり、社会状況と呼応してテーマや表現方法が変化していっている。

    ヤノベのデビュー作である生理食塩水に満たされたタンクで瞑想する《タンキング・マシーン》(1990)は胎内回帰的であり、自身を見つめて妄想を膨らまし、アーティスト・ヤノベケンジとして「誕生」するきっかけとなった。その後、不穏な世紀末において「サヴァイヴァル」することをテーマに装着や駆動可能なさまざまな機械彫刻を制作する。そして、知覚と身体を拡張し、現実を物語に変換することを試みてきた。

    しかし、阪神淡路大震災や同じサブカルチャーに影響を受けた世代が起こした地下鉄サリン事件に衝撃を受け、妄想と現実との境界を埋めるため自作の放射線を検知する防護服《アトムスーツ》を着用して、チェルノブイリなどを訪れる《 アトムスーツ・プロジェクト》(1997–2003)を開始する。しかし、原発から半径30km 圏内の立入禁止区域(ZONE)で自発的帰郷者(サマショール)と偶然出会って厳しい現実を目の当たりにし、創作に利用した形になったことに深い後悔と罪の意識を抱くことなる。その後、ヤノベは、原子力や核に対する警鐘を作品で表現することで贖罪と自身の再生を図ることになる。

    21 世紀になると、「リヴァイヴァル」にテーマを移行し、息子の誕生とともに、次の世代を意識するようになる。同時に、父親が定年後に始めた腹話術人形からヒントを得た「トらやん」のシリーズを開始し、自分に成り代わり代弁者、媒介者としての役割を担わせていく。

    2004-05 年には、金沢21 世紀美術館のオープンにあたって、半年間のアーティスト・イン・レジデンスを行い、スタッフや地域ボランティアと協働で、全長7.2m、アルミ製の《ジャイアント・トらやん》を制作する。それが最初の巨大彫刻作品となった。2008 年には、京都芸術大学の共通造形工房ウルトラファクトリーのディレクターに就任し、巨大彫刻の集団制作体制を築き上げていく。

    2011 年に東日本大震災、福島第一原発事故が起き、懸念してきたことの現実化と、警鐘としての表現が効果を及ぼさなかった事実を突きつけられ、現実を好転させるための前向きな表現に転換する。そして、 希望のモニュメントとして、 全長6.2m 《サン・チャイルド》(2011–12)を制作し、3 体の内の1 体が自身の故郷である茨木市で恒久設置される。それが実質的にヤノベの最初のパブリックアートとなった。

    2010年代になると、日本各地で芸術祭が開催されるようになる。ヤノベはウルトラファクトリーで巨大彫刻を制作し続け、多くの場所で展示されるようになった。また、仮設であっても堅牢に創られているため、同じ作品が複数の箇所で展示されたり、そのまま恒久設置されて多くの人々に注目されている。同時に、その巨大性は手作りの範囲であり、ある種のヒューマンスケールが愛される要因にもなっている。

    一方、ヤノベのかつての作品も皮肉なことに震災、原発事故や不安定な社会情勢のため理解が深まっており、「サヴァイヴァル」が現実的な課題となっている。しかし、未来を予見するヤノベだからこそ希望を強く打ち出した巨大彫刻を自らに課しているといえる。そして、ヤノベの希望の物語をもとに制作された巨大彫刻は人々や地域の歴史と共鳴し、芸術の起源に遡行するさまざまな出来事を発生させている。ヤノベにとって、多くの場所に巨大彫刻を置くことは、現実を希望の物語に変える試みでもあるのだ。